それは一度割れた皿のように

 

 

前書き

約9か月ぶりの更新。

お久しぶりです。

 

最後の更新が「アンチが~」という内容だったわけですがそれで嫌になって辞めたというわけではなく理由の大半としては一言にするならば怠慢。

新しい仕事が始まるに伴い周りの環境が変わりバタついていたとか心的なものを含め体調が崩れがちになっていた、副業を始め寝ている時間以外は殆ど働いているような時期があったなどあるがそれでも毎日更新している人や定期的に更新している人もいるのは事実である以上少なくともそういった人たちからすれば怠慢と言わざるを得ないだろう。

他にはなかなか書きたいことが見つからない、まとまらない、「自分がこれを書いていいのか、触れていいのか、ネタにしていいのか」という葛藤があったものなども多少あったがそれもせいぜい理由の1割2割程度。

 

まあもともと「書きたいときに書きたいことを無理なく書いてく」がコンセプトで「毎日更新してブロガーとして収益上げてやる!!!」というものではなかったのでいいかなとも。。。

 

 

ざっくりしとした9か月の振り返り

おそらく今回書きたいことを書くにあたって一度まとめておいた方がいいかと思うので簡単に振り返りを。

 

・4月、5月

前回更新で触れた派遣での新しい仕事の研修期間(座学)が始まる。

・6月

実際の現場での実習(OJT)期間に変わり徐々に独り立ちを始める。

中旬頃からわずかに体調の不調や違和感が出始め通院を中断していた病院に月一回程度のペースで通い始める

・7月~8月中旬

体調の不調を抱えながら業務

・8月中旬~9月中旬

コロナの影響で事業所が閉まる。

・9月下旬

事業所の営業が再開。

休業期間に回復ができたかと思ったが再開と同時に体がわずかに出社拒否状態になっていることが発覚。呼吸の乱れ、ふらつき、腹部の圧迫感、不眠、めまいといった症状が朝起きたときや通勤途中、勤務中に出るようになる。通院のペースが3週に一回に変更

・10月

症状が徐々に悪化し欠勤や早退が増え通院ペースが2週に一回に変更

・11月

派遣元の担当者と面談。現状の確認と今後の方針をすり合わせ。

11月最終出勤日業務中に業務続行不可能な状態に。窒息感に伴う過呼吸、発汗、体の震え、動悸、めまい→パニック発作的症状へ

・12月(現在)

第1週目の出勤日すべての通勤時から上記の症状が発症。療養期間として有給、公休合わせて1週間の休みを取ることに

 こんな感じの9か月

 

 

本題

去年一年間のフリーター期間で心療内科への通院も中断できるようにまで病気の快復が見られ発作などを起こすこともなくなり自他ともに「もう大丈夫なのでは」と思い始めた矢先のことだった。

派遣先の会社の環境が劣悪だったというわけではない。むしろ周りに話しても羨まれるほど環境自体はとてもよく症状が出ていなかったとはいえ持病として持っている鬱などの精神病、精神疾患に対しても理解があるほどだった。

 

そんな中でなぜこのようなことになってしまったのか。

 

コンプライアンス的な観点からあまり詳細に仕事について書けないが仕事が始まった当初はかなり低い確率でしんどいこともあったが自覚するほどストレスも感じていなかったし何なら少し楽しんでいた節があったくらいだった。

 

しかし結果はこれだ。

 

考えられるものとしては業務内容と自身の性格のミスマッチ、もしくはコールセンターという業務に対するストレスの蓄積。

上司からも「ケアできるように環境整備はしているが電話のストレスで体調を崩し休職もしくは退職する人も多くはないが珍しいわけでもない。」とのことだった。

 

前述したようにもう問題ないと思っていた。こんな事態になるとは思いもしなかった。

自身の状況に対する認識が甘かったかもしれない。

いや、かもしれないではなく甘かったのだろう。

 

だからこそ改めて思い知った。

心の傷とは、病とは少なくとも簡単に癒えるものではないということを。

下手をすれば一生消癒えない治らないものなのだと。

 

刃物で切れば切り傷、ひねれば捻挫、ぶつけたり叩くと打撲や骨折などいわゆる外傷とされるものの原因というのは大方万人に共通するものだろう。

しかし心の問題はそうはいかない。

何がその人にとって平気でなにがその人にとって重大なのか、どこまで触れて良くてどこからがダメなのか。人によってすべてが違う。

ガラスのハートや豆腐メンタルなんて表現があるが本当にその人の精神が弱いだけなのだろうか。それが原因で問題なのだろうか。

そうではないだろう。誰にだって越えて欲しくない一線が、触れられたくないことがあるはずだ。自覚しているかいないかは別として。

 

そしてそれは高いところから落とした、もしくはぶつけて一度割れてしまった皿のようにどれだけ上等な接着剤てくっつけようとヒビの後は残るし欠片を拾い損ねれば何処か欠けたままになってしまうだろう。

それに水を汲めば一見きれいにくっついているように見えるところからでも水滴がこぼれるかもしれない。

 

心はそれと同じなのだと感じた。

しかも目に見えるものではないだけに余計にたちが悪い。

 

だからこそ気まぐれでもなんでもいいからこの記事を読んでくれた人には同じようなことにはなってほしくないと思う。「自分は大丈夫」そう思う人もいるだろう。むしろそう思っている人の方が多いだろう。でも「そう」なってからでは遅いのだ。

 

周りから何と言われようと自分の身は自分の心は自分で守るしかないのだから少しでもおかしいと思ったときは足を止めてもらってほしい。

もしかしたら考えすぎ、思い込みで終わるケースもあるかもしれないけどそれで済むならむしろいいじゃないか。

限界は思っているよりずっと早く来ることがあることを知っていただきたい。

 

 

 

9か月ぶりもともとそんなにきれいな文章じゃなかったかもしれないが期間が空いたからか余計にまとめ方や着地点がわからなくなったので今回はこのへんで。

アンチキタ━(゚∀゚)━!!!

最初に言っておくと今回は内容がちとあれかもだけど本人は全く気にしておらずネタ投稿感覚です。

 

先日の「正社員やめて〜」の投稿に寄せられたコメント。

普段コメントなんて来ないし投稿して割とすぐのタイミングでコメントが来ていたので何事かとすら思った。

 

 まあ早い話が所謂アンチコメだったわけですよ 

どんなコメントが来たか気になる方は前回の記事にて確認してもらえればなーと。

 

少し前であればむきになってバチバチにコメント欄で喧嘩してたと思う。

ツッコミどころ一つ一つ拾って「何言ってんですかはぁ?( °Д°)」みたな。

それを考えると一言返したとは言え落ち着いて対処したあたり大人になったなぁとしみじみ思ったり。

 

このコメントが来たのを見た大学時代の後輩から「気にしない方がいいですよ」とラインが飛んできた。

この後輩とはラインの交換はしていたものの実際は一度もやり取りをしたことがなかった(はず…わかんない…機種変とかしたタイミングで履歴が消えただけかも…)にも関わらずこんなことを言ってくれる後輩…なんていい奴や…(´TωT`)

 

 

さて、このアンチ(?)の出現に際して過去にお会いした方がこんなことを言っていたのを ちらっと思い出した。

 

「アンチが来るようになってからスタート」

「アンチが来るってことはそれだけの人が見てくれているってこと」

 

この言葉を聞いたときは「おぉ」って感じだったが実際来てみると

「あ、自分もこんなつたないブログではあるもののその域まで達したのかな」

とうれしいような誇らしいようなといった感じつつも「こんな平日の昼間にこんなコメントしてくるなんて暇なのかな…('ω' )」なんてことも思ったりした。

 

しかし、時間が経つにつれて『「好きの反対は無関心」や「嫌よ嫌よも好きのうち」なんていうようにただ暇なだけではこんなコメント書いてこないんだろうしそもそも読みもしないよなー』とも思い始めた。

だからと言って安易に相手を批判する発言をするのはどうかと思うけどね。

 

 

まあ事実ベースとしてはここまでとして実際アンチって面白いなと思うわけですよ。

アニメや漫画が好きなのでよくネット配信とかで見たりするんですが一部サービスでは更新された分を視聴ないしは読み終わった後コメントを視聴者(読者)が投稿できるようになっているものが多いのだけどやはりそういうものにも一定数アンチがいる。

単純に「この作品面白くない」とか「つまらん、はよ終われ」みたいなことが書かれているとこもざらにある(実際はもっとひどい言葉もあったりする)。

これが初更新の1話目とかせいぜい2話目ならわからなくもないが5話目、10話目、20話目とかなり話が進んでもなお出てくる。

それを見てる身からすると

「なんやかんや言って見てるやん!!!」

と思ってしまう。

何ならファンを煽りたいのか更新後一番最初のコメントを取りに行ってる人もいたりする。

そのコメントに対して「なら見なきゃいいじゃん」とか「それわざわざ書き込むとか暇なの?」といったものが寄せられたりする。そのツッコミまで読んで「それな」と心の中で同意するまでをワンセットにして楽しんでる自分もいたりする。

 

何なんすかね?あの所謂アンチって呼ばれる人たち。素直になれないタイプなのかな?

もちろん個人の好みなので好き嫌いあるとは思うけど嫌いなら嫌い、気に入らないなら気に入らないでスルーすればいいのにそこに時間と労力をかけるのは

「実はいうほど嫌いじゃないんじゃね?」とか

ツンデレかよ!」とたまに言いたくなる。

 

 

少しこういったこと流せるくらいには煽り耐性ついたとは言えこういうことが続いたりするとさすがにノーダメージとまではいかなくなるだろうしねっとだからと言って安易に批判するというのもどうかなと自分自身含め考えていかなければいけないことではあるなーと思った次第で終わりです~

 

正社員を辞めて派遣社員を選んだ理由

2019年1月17日

新卒で入社した会社を退職し、同月27日某飲食店にてあバイト生活が始まりもう1年と2か月が経過した。

昨年10月に一時的にと今年の1月から3月頭にかけて転職(再就職)活動をしていた。

結論から言うとこのタイトルにもあるように再就職活動で正社員になることを辞め派遣社員になることにした。

派遣社員になることにしたとはいえはっきりと派遣先が決まったわけではない。

先日派遣会社に登録をしたのでそこから紹介を受けた企業で働けるか働けないかが後日派遣先の企業と面談をして決まるというような状態である。

ではなぜそう決断したのかについて書いていく。

 

再就職活動中の話

正直就活はかなり難航した。

希望しているような条件の会社も北海道に絞るとなかなかなくその中から少々のこだわりとそれなりの妥協の末、見つけた数5社の会社説明と面接を受けてきた。

 

 

どんなことを妥協したか。例えば職種。前職が営業職で病んだため営業以外の職種を希望していたがその時点で利用していた転職サイトの求人の7割ほどが無くなってしまう状態だったため営業を全部はじくのではなくルート営業や企業、法人向けの営業はセーフにしてみたり、給与などの条件も少し下げてみるなどした。

そんな中見つけた5社だ。

しかしいざ申し込んで会社説明や面接を受けてみたときこんな言葉がよく出てきた。

「いや、求人にはこうやって書いてるんだけど実はね・・・」

軽い感じで笑いながらそれを話される。

例えば営業以外の職種で応募したはずなのに「最初3年は営業で動いてもらう」とか求人には土日祝休みと書いてあるのに「実際はシフト制で平日休みが基本になる」というものだ。

「なんでそれちゃんと求人に書かないんですか?」と問い詰めたくもなったが堪えた。そんな就活が2か月続いた。

結果は3社が一次面接で不採用、1社が一次通過するも最終選考の日程調整段階で辞退。そして1社から内定をもらうも辞退した。

内定を辞退した理由

多少の不信感を抱きつつも続けた結果内定の出た1社。

この会社は先述していたようなことが唯一なかったといっていいほど求人通りの会社だった。

前職で病んだような社内環境でもなさそうだし面接であった人達もいい人そうだった。

鬱についても「今もう大丈夫だって言うならいいんじゃない?」って言ってくれた。

ではなぜそんな会社を辞退したか。

その理由は前職を辞めたとき自分の中で決めたことが関わってくる。

 

前職を鬱で辞め、少しして調子が気持ち程度に落ち着きを見せてきたころ2つルールではないけど自分の中で決めたことがある。

無理、無駄な我慢はしない。

少しでも違和感があるときはその時の直観を信じる。

それぞれ少しだけ具体的に記述していく。

 

①について

人との関わりの中、特に働く中でもちろん我慢しなければいけないことは往々にしてあることだろう。しかし、人によって許容量や許容できる範囲にもちろん差がある。

その中で自分の中で「これは黙っていたくない」「このままにしておくのは嫌だ」と思ったことは周りに何を思われようと(できるだけ)気にしないではっきりと言うようにした。実はこれで何度か今のバイト先の人とぶつかったことがあるが別にその結果不仲になったとか職場の雰囲気が悪くなったということはなかった(運がよかっただけかもしれないが・・・)。それがいいことなのか悪いことなのかはわからないが少なくとも自身の精神衛生上悪いことはなかった。

 

②について

これは「状態が落ち着いて次の仕事を決める時が来たら」という考えが強かったもので文字通りという感じ。話している中で「何かおかしい」とか「違うかも」といった「何がとははっきり言えないが引っかかること」なんかがあったときはその直観、感覚を大事にしてできるだけ避けるようにしようと決めたものである(たまにふざけてなんかやべーセンサーとか言ったりもする)。

 

内定を辞退したのはこの2つのうち②に引っかかったからだ。

とはいえ今回は「なんとなく」というよりはもう少し具体性がある。

内定が出た会社の印象は「とにかく熱量(やる気?)を大事にしている会社」というものだった。設立してから割と新しいところだったのでややベンチャー気質な部分もあったのだろうと思う。

別に仕事をするうえでやる気がないというわけではない。かといってかなり高い熱量を持っているかと言われるとそうでもない。

あえて言うなら「淡々とこなす」といったところだろうか。

そしてそこに強いギャップを感じた。

実際に働いている状況を見たわけではないし実際自分と同じようにそこまで高くない熱量で働いている人もりつかもしれないが、面接前にされた会社説明で強く押されたポイントの一つだったことがどうしても引っかかってしまった。

周りのことはあまり気にしないようにしてはいるがやはりどこかで比べてしまう部分もある。そんな中で「周りの熱量と自分を比較してしまったとき自分はその差に耐えられるだろうか」という疑問が生まれた。

もともと自己肯定感が高いわけではなくむしろ低い方だと思う。そんな中で熱量の差を感じたとき変に焦りが生まれたり、下手をすれば自己否定や自己嫌悪に陥ってしまうような気がした。通院が中断、様子見の状態になっているとはいえ完全に治ったわけではないだろう。そもそも「もう絶対大丈夫」となるようなものでもないだろう。そんな中でそれらが鬱に対してどう影響するかも気がかりだ。実際そこに就職してなんともない可能性ももちろんある。

しかし可能な限りリスクは避けるべきだと思った。そのための先の決め事なのだ。

だから辞退した。

からしたら「そんなことでせっかく出た内定断ったの?」となりそうな気もするが事の重大性や優先度は人によって違いがあるのは当たり前なので深く突っ込まないでいただけるとありがたい。

 

派遣を選んだ理由

さて、せっかく出た1社の内定を辞退したのはまだいいとしてなぜ正社員ではなく派遣社員を選んだのかだが理由は大きいものは2つある。

1.正社員とは違ってある程度潰しが利く

メリットでもデメリットでもあることだと思うが派遣社員は派遣として働く本人にとっても派遣を受け入れる側の企業にしても何かあったとき切れる関係にある。もちろん企業側に問題があった場合を除き派遣社員が派遣先を辞めるということがあれば派遣先の企業や派遣元の企業に多少の迷惑が掛かるかもしれないが職場環境があわないであったり自分のように鬱であったり何かしらの持病があったとき職場を離れやすい状態にあるというのが現状において魅力的に見えた。(とはいえ言うほど簡単な話ではないだろうが…)

2.正社員につながる

登録する派遣元の企業や派遣先の企業、契約内容にもよるかもしれないがある程度の期間や実績をもとに派遣社員から正社員になることができるし派遣先の担当業務がちゃんと職歴、経験となるのでキャリアアップにもつなげやすいため改めて正社員として働くことを目指した時の転職活動の幅が広がるから。

 

この2つの理由から今回派遣社員になることを決めた。

内定を辞退した理由と同じように見る人から見たら根拠、理由としては弱い部分もあるかもしれないが…

 

 

次の仕事が本決まりしたわけではないので楽観できない状態ではある。

下手すれば今紹介予定の企業に入れなかった場合派遣会社に名前はあるけど実質無職みたいなことにもなりえるので。

ただその場合も「また求人見て仕事探さないと」みたいなことにならず派遣会社の人と相談しながら仕事探しができるのでまあ何とかなるんじゃないかなと思うのでのらりくらりとやっていこうかなと思う次第です。

なかなか締まらない感じが否めないが今回は以上です。

更新できてないけど「これ書きたいな」みたいなのがいくつかあるのでぼちぼちやってきます。

それは誰にでも起こりえる話で

「シングルマザー死ねって日本が言ってる」

 

先日なんとなく流し見していたフェイスブックでシェアされていたブログ記事のタイトル。

そのタイトルの強烈さとシェアしていた人の「みんな読んだ方がいい」とのコメントで記事を読ませてもらった。

 

読んでいて涙が出た。

たまに見かけるようなドラマや映画のワンシーンじゃなくて本当にこんなことあるんだとただただショックだった。

 

自分はまだ結婚もしていなければもちろん子どももいない。両親は健在だし離婚もしていない。

だからどういう支援制度があるのかとかも全くわからないしましてやシングルマザーとかシングルファザーで大変な苦労をされている方の気持ちがわかるとか簡単には言えないし到底推し量れるものではないんじゃないかとも思う。

 

 

この記事を読んでこみあげてくるものはあったけどうまく言葉がまとまらないしとりあえず読んでほしいとしか言えない自分が歯がゆい。

 

自分の将来を想像して(できるかは別だが)結婚して子どもができたとき奥さんと離婚したとか死別したとかで自分がシングルファザーになったら自分はがんばれるだろうかとか不安にもなった。

 

 

最後に冒頭で書いた記事のリンクを貼っておくので読んでほしい。

何ならこの記事よりもそっちの方を見てほしいくらいに思ってる。

 

さて、このまま読み進めてくれる方々へ

今回のこの記事を書いてるのは「読んで悲しかった、不安になった。だからこの人の記事みんな読んで」って話じゃない。ここから本題

 

過去の記事でも書いているのでまたかと思われそうだが自分は鬱で仕事を辞めた。

 

現在転職活動を行っているが一度だけこのフリーター期間に転職エージェントと面談をしたことがある。

やり取りの中でどうしても不安で気になったので聞いた。

「鬱で仕事を辞めたって面接の場で言ったらやっぱり印象よくないですかね?」

「いい印象はないだろうからうまくぼかしてはっきり言わない方がいいね」

 

わかってはいた、予想はしていた。でもやっぱりショックだった。

 

鬱になんてなりたくてなったわけじゃない。

 

もちろん自分が鬱になるなんて考えたこともなかった。

でもなってしまったものは仕方ないじゃないか。

どれだけ予防したいたところでひくときは風邪ひくんだよ。

どれだけ頑張ってもダメな時はダメなんだ。

 

それを認めてもらえな。理解してくれない。

「鬱で辞めたって言っても今もう大丈夫なら大丈夫でしょ」

 

って言ってくれない世の中。

 

実はこの記事を書く直前企業との面接があった。

もちろん退職理由を聞かれたので正直に答えた。

先述したエージェントとの面談を考えれば正直に「鬱で辞めました」というべきではなかったのかもしれないけどはっきり言った。

web面接で画面越しだったうえに相手の顔が少し見切れていたり評価シートか何かの記載をしていたのだろう、頻繁に顔を下げていたので話した時の表情や反応がわかりにくかった。

これが理由でだめかもしれないし他の理由でだめかもしれない。もしかしたら受け入れてくれるかもしれない。結果はまだわからない。

 

でもこれで落ちるような会社ならこっちから願い下げだと思っている。

 

先のシングルマザー(ファザー)の話もそうだし鬱などの疾患、その他多くあげられるいわゆる「社会的弱者」と呼ばれる人たち。

 

それを「自己責任だ」と簡単に言い捨てる人がいる。

 

冗談じゃない。

 

どの人たちも共通してなりたくてなったわけじゃない。

結果そうなってしまっただけ。

 

軽くなってしまいそうだが

ただ少し他の人より運が悪かっただけ。

 

それを否定される、認められない、理解されない。

どれだけつらいことか

 

心のどこかで「自分は関係ない」「自分はそうならない」と思い込んでる

いつどこで誰がそうなってもおかしくない世の中なのに

 

「我が事のように」なんてことも言えるが実際の苦しみも大変さもなってみないことにはわからない

それはわかってる

 

でもだからと言ってこのままでいいわけではないだろう

周りの人だったり政治だったり社会だったりもっとできることが変わるべきことがあるんじゃないかな

 

 

 

misoyorishioha.hatenablog.com

フードロスなんてものがありますが

 今のフリーター生活含め学生時代に経験してきたアルバイトのほとんどが飲食店だった。

 さらにそのほとんどがキッチン業務で調理しているときもあれば洗い場に入ることもある。

 

どの店でもそうだったが洗い場なんかにいるとかなりの食べ残しが出てくる。

中には残飯なんていえないほどほとんど手つかずのまま食器がさがってくることもある。

また時折ではあるが注文を受け調理し料理を出す直前もしくは運んだタイミングで「やっぱりこれやめてこっちにしてください」なんてこともあったりする。

その場合は作り直しをするわけだが先に作ったものはどうなるかというともちろん廃棄である。

 

その度に思うのはもったいないである

「ほとんど手つかず」や「直前でのオーダー変更」に関しては憤りを覚えることもある。

 

そう、今回の記事は

食いもんむだにすんじゃねーよ!ふざけんな!

って話と「じゃあなんでそんなことなるの?」っていう考察記事です。

 

タイトルにも書いてあり社会問題の一つとして挙げられているがそもそもフードロスとはなにか。

フードロス(食費ロス)とは、まだ食べられるのに廃棄される食品のこと。

日本では、年間2,759万トンの食品廃棄物がありそのうちまだ食べられるのに廃棄される食品、いわゆる食品ロスは634万トン。これは世界中で飢餓に苦しむ人々に向けた世界の食糧援助量(平成29年)の1.7倍に相当する。(消費者庁HPより)

とのこと。

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なんでこんなことが起こるのだろうか。

もちろん単純に思ったより量が多くて食べきれないとかってこともあるだろう。

飲食店での食事なんかはあらかじめどのくらいの量が来るかわからないことが多いので「食べられると思って頼んだけどいざ料理が来たら思った以上の量だった」なんてこともあるかもしれない。

それだけなら「もったいないな・・・」と思うだけでこんな記事にすることははなかったと思う。

しかし何度も出すが「全くの手つかず」や「ぎりぎりでの注文の変更」なんかは話が違うだろう。

 

こういった行動になる背景として

「①日本は食べるものにあふれていること」

「②食品、食材を『モノ』として考えている」というのがあるのではないだろうか。

 

まず①につてい

現代の日本において(一概にそうとは言い切れないだろうが)よほどのことがなければ食べることに困ることはないだろう。つまり食料が飽和して食べ物に対する希少価値が極端に低いのだ。希少価値が低いと扱いが雑になったりそれこそ「もったいない」という意識が薄れていく。だからまだ食べられるはずのものを世界食糧援助量を大きく上回る量を 容易に残し捨てることができるのではないだろうか。

 

次に②について(個人的にこっちが本題というか大事)

何年か前に「プロフェッショナル」という番組で猟師の方が取り上げられた回があったらしくそれがTwitter上で批判込みで流れてきたことがある。

番組のワンシーンの画像を切り取ってこんなことが書かれていた。

猟師なんて動物殺して楽しんでるだけのサイコキラー

動物がかわいそう

趣味で動物殺してるような奴(ら)を取り上げるな

などなど

それに対して猟師の方が何をしているかを説いた返信が返されていることもあった。

前述した内容もかなりものだったがさらに衝撃だったのはこれに対しての返信にこんなものがあった。

肉なんてスーパー行ったら買えるだろ。わざわざ殺す必要ない

 

愕然とした 。

何を言っているんだとあきれたのを覚えている。

 

狩猟のメインとなる対象は熊、鹿、イノシシなどのいわゆる「ジビエ」とされるものが多く一般に口にする牛、豚、鳥とは確かに違うがこの時批判していた人達の多くはそのスーパーで売られている肉は動物を殺すことでできていることがわかっていないかのようだった。

 

もちろんこれは極端な例ではあるが冒頭で書いたような平然と食べ物を残す人たちは

食べ物=生き物ということを知ってはいても本当の意味で理解をしていないのではないだろうか。

 

廃棄に対して「もったいない」と書いたがこれは食材がもったいないということではない。

がもったいないのだ。

 

またこの「命」食材となった動植物に限ったことではない。

一つの料理、食事にあたって実は大きく3つの命が関わっている。

1つ目はここまで書いてきた「食材となった動植物の命

2つ目は農場や牧場、加工場で働いている「生産者の命

3つ目は食材を調理する「調理者の命

 

1つ目に関してはここまで書いた来たので十分理解していただけていると思うので省略。

では2つ目3つ目はどういうことか。

生産過程においても調理過程においてもそれをする人たちは自分たちの時間を使っているわけだ。

寿命というものが本当にあるのかはわからないがあると仮定したときその寿命(時間)の一部を使って生産、調理をしているのだ。

「それが仕事なんだから」と言われればそれまでかもしれないがその人たちがその役割を担ってくれているおかげで食事にありつけているのも事実であり特に生産者の方々についていえば極論「自分たちの分だけ作っていれば生きていくことに困らないにもかかわらずそれを分けてくれているのだ。

そう考えると「仕事だから」と一蹴するわけにはいかないのではないだろうか。

 

また調理者はなにも飲食店で働く人だけを指したものではない。

家でご飯を作ってくれる親、兄弟、祖父母など仕事としてやっているわけではない人も含まれる。これを「親なんだから当たり前」とでもいうのだろうか。

もしそういう人がいるのであれば考えを改めるべきだ。

理由は先のものと同じ。「本当はやらなくてもいいことをやってくれている」のだから。

 

ご飯が食べたければ自分の分だけ作って食べれば済む話なのに自分以外の家族の分を自分の時間を使ってまで作ってくれる。他にもやりたいこと、やらなきゃいけないこともあるはずなのに。

 

つまり食べ物を無駄にするということは人の厚意を無駄にすることなのだ。

 

食事の無駄は社会問題だから何とかしなきゃいけないものかもしれないがそもそも問題として挙がるようなことがあってはいけないものなのではないだろうか。

 

「いただきます」「ごちそうさま」という言葉が日本にはある。

これらは食(命)に対する敬意と感謝を込めた言葉だ。

子どものころは学校言っていたかもしれないが大人になった今この言葉を食事の前後に口にする人は一体どれだけいるだろう。

食事とはできて当たり前のことではないということをもっとちゃんと考えるべきなのではないだろうか。

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最近めっちゃ誘われるんすよ

最近いわゆる「ビジネス」というものによく誘われる。

大学時代の友人や地元の友人、ふとした拍子に出会った初めましての人と後日あったときなどなど…

お金欲しくない?

いい仕事あるんだけど

副業にはちょうどいいよ

最初頑張れば後から楽になるから

などなど決まり文句みたいなものもだいたいどれか一つは誰の口からも出てくる

そんな言葉から始まる話はどれも【マルチ商法】や【ネズミ講】のようなものばかりだった。

友人に誘われて一緒に話を聞きに行くことになったときなんかは札束を見せられたこともあった。身に着けているブランド物の金額を並べられたこともあった。

めちゃくちゃ怪しい…

 

このビジネスと言われるものが必ずしもそうなわけではないだろう少なくともこれまでが誘われたものすべてがそうだった。

 

もちろんどれも丁重にお断りした。

 

何回目かの誘いを断った後ふと

なんで自分はこの話を断っているのだろう

と疑問になった。

 

もちろん怪しいというのもあるだろう。

先入観による思い込みなだけで実は合法で安全で確実に稼げるというようなものだったと仮定したとき同じように断るかどうかを考えてみた。

 

今の世の中お金は何をするにも最低限にして最大の手段だと思う。

そのお金を稼ぐ主だった方法は労働であるが正社員にせよバイトにせよある程度稼ごうとするとかなり時間を圧迫されることになる。

たかだか100年生きられるかどうかの限られた時間を生きる人生の中で労働に時間を割かずに稼げてその空いた時間を好きなことに費やすことができるのはそりゃ魅力的な話だろう。

しかもその稼げる額が一般の正社員で稼ぐにはある程度の経歴や役職が必要になるような額だったりする。

前職で職場の環境が原因で精神的に苦労した身としてはそういった労働環境に縛られなくて済むという点も魅力的である。

 

仮定した通り違法性もなく安心安全確実に稼げるというのであれば時間的な面においても金銭的な面においても精神的な面においても普通に働くより断然いいはずだ。

 

それでもこの仮定の中でやるかどうかを考えたときの答えは「やらない」だった。

ではなんでやらないかその理由を考えて出た答えは「面白くない」だった。

 

「例えばアメリカに行きたいとしてどんな方法でいける?飛行機でも行けるしフェリーでも行ける。まあ無理だけど極論泳いでも行けるよね。じゃあこの中で一番確実で早い方法は何?飛行機だよね?そう考えたとき今アメリカに向かってるとして飛行機に乗れてる?」

最後にこのビジネスの話をしてきた人がたとえ話でしてきたこと。

胸を張って言おう。「泳いでます!!

やりたいことはある。大きく公言こそしていないが一部の人には話している目標があるが一応ある。それにはもちろんある程度のまとまったお金が必要。

もしかしたらそれを考えたらアフィリエイトの申請もしないで書いたところで一銭にもならないこんな記事書いてたり収入の安定しないフリーターやってる場合でもかもしれない。

多少怪しくても先述したメリットを考えると一口乗ってみるのもありかもしれないしそうでなくてもさっさと再就職してある程度の安定した収入を得られる状態になったほうがいいだろう。まあ近々再就職はするつもりだけど…

このままいったら下手すればその目標を達成できないで人生終わってしまうかもしれない。めちゃくちゃ苦労するかもしれない。それはわかっている。

でもやっぱり面白くないからやりたくない。

できるかできないかわからないし思っている以上に苦労することもあるかもしれないけどそこに行くまでの過程を楽しみたいんだよなぁ

簡単に手に入るものを求める人ってなかなかいないと思うんだよ。

「好きなブランドの服が欲しい」とか「どこかへ旅行へ行きたい」とか思うのももちろん好きだからってのもあると思うけど欲しいとか行きたいとか思ってパッと実行できないからこそ欲するんじゃないかなと。

「今月頑張ればボーナス入るからやっと買える」とか「今週乗り切れば連休始まるから旅行に行ける」とかそういう過程があるからこそ欲しいと思うしできたときの楽しさがあるんじゃないかなって思うわけですよ。

だから「夢」っていうんじゃなんじゃないかなぁ

 

 

でも現状下手すれば見る人から見たら泳いてすらいないで浜辺をふらふら歩いているだけかもしれないし多分正しい努力もできてない、していない完全に口だけ状態に思われるかもしれないけどそうそれはそれでいいと思っている。

 

「偉くなりたいと思わない?偉くなりたいって言ってるわりになんもしない人いるんだよね」

これもさっきのたとえ話の人から言われたことだけど答えは

なりたくない。めんどくさいです

別に偉くなりたいわけではなくてしいて言えば自由でありたい。

 

 

だから周りからどう見られていても関係ないと思うことにしている。

たまに周りのこと気になって変に比較して「何やってるんだろ」ってなったりすることもあるけど…

 

今この無駄にも見えるかもしれない遠回りしているこの時間も経験もあとからもしかしたら「あってよかったもの」になるかもしれないと思うようにしている。

もちろん「結局無駄でした」ってなるかもしれないけど。

 

 

ということでこれからも変な誘惑に負けずに自分のペースでふらふらやっていこうかなと思います(何の報告?)

 

関係ないけどワンピースのとあるシーンに今回のネタにぴったりのものがあったのに著作権云々が怖くて画像とかセリフ引っ張ってこれなかったのがとても残念だったりする。

書くか悩んで一度お蔵入りしたけどやっぱり書くことにしたホントにあった残念な話

最初に

 

この記事は1度投稿しようかと思ったけどいろいろ懸念することがあり公開前に削除したものを書き直したものです。

 

やめた理由は3つあり理由の重要度の低い順にあげると

1.まとめがうまくいかず結局何が言いたいかわからなくなったから

2.ブログを更新した際FacebookでシェアしてるのだがFacebookのアカウントを家族にフォローされてるため十中八九家族に読まれてこの記事の内容的について余計な心配をかける恐れがあったから

3.出来事自体も残念なものであるがそれについて触れて書くことによる文言や表現などが意図せず誰かにとって不快になる可能性があると思ったから

があった

 

しかし前回のブロガー辞めます宣言から改めて考えてブログをちまちま続けるにあたってなにを書くか考えた時「自分しか伝えられないこと、自分の体験、思い、考えを書くべきなのでは」た思ったので改めて書くことにした。

もしかしたら前述したように不快感を覚える可能性があるかもなのでその事を留意した上で読むなら読んで欲しい。

そしてもうひとつ誤解がないように言っておくとこれを書くことによって同情や励ましの言葉が欲しい訳では無いということ。なのであえてそういったコメントは無しでお願いします。(と言っても今までコメントもらったことないけど………)

 

 

 

 

 

出来事

 

お前の人生終わったな

自分が不安抑うつ状態になりその結果仕事を辞めたことを知ったどこの誰ともわからない人にぶつけられた言葉。

 

経緯

仕事を辞めバイト生活が始まった頃、仕事を辞めると同時に当時付き合ってた彼女と別れ一人の時間が増え退屈だった中ちょっとした話し相手が欲しくなりフリーチャットアプリを始めてみた。

イメージとしてはLINEに近いもの。もしくは「斉藤さん」というランダムで暇電ができるアプリがあるのだがそれのチャット版と考えてくれるといいかなと。LINEはIDやQR、登録してある電話番号など特定の方法で連絡先を交換しなければやり取りできないのに対しこのアプリはアプリを入れている人同士であれば条件、例えば年齢幅などの検索で相手が出てきて制限なく誰でも繋がれるような感じのもの。もちろん検索しなくても相手を見つけることはできる。

誤解を生まないように念押しすると変な出会い系とかではない。

自分は普段の生活の中でも基本LINEとかは用事があれば程度にしかせず面倒なのであまりダラダラとやりとりしないタイプなのだけどそんなことを始めるほどに退屈していたんだなと今になって思う。そしてネットでそれを済ませようとしていたことが安直且つ軽率だったかなとも。

アプリのレビューを見たところやり取りの中で実際に会ったりする人もいるらしいがそこまでは望んでいなかったのでほんとに会話するだけのつもりだった。 

 

この時の話し相手のことでわかるのは学生らしいということと北海道にいる人だということ。

最初の方の会話はありきたりな雑談ばかりだったがあるタイミングで職業の話になった(この時相手が学生であることを知った)。

 

やり取り再現

一時期スクショで画像を残していたのだけど投稿を辞めたときに消してしまったので覚えている範囲でのやり取り内容を再現してみる。

完全再現というよりは要所要所の再現になっているが概ねこんな感じのやり取りがあったよというもの。

再現していて思ったのはやはりあまり気分のいい内容ではないので読むならそのことを留意してほしいし何ならこの節は飛ばしてもいい

やり取りの相手のことを仮称として「A」と記載

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A:タナシさん(アプリ上は別名)は何の仕事をしているんですか

タ:実は鬱になりかけて会社を退職して今フリーターで飲食にいます

うつ病と不安抑うつ状態の違いの説明を省くためと変な気を使わせないためこの時なりかけと言った)

A:そうなんですか、大変だったんですね。何があったか聞いてもいいですか

タ:簡単に言うと会社の雰囲気だとかいろんな面があわなくて(ここは具体的に述べた)働き初めて半年でつぶれてしまいました。。。ただまあ今は友達とかにも話すときは笑い話みたいにしてはしてますけど笑

A:半年?そんなんで会社辞めるとかお前の人生終わったなwww

タ:ははは、笑いたきゃ笑えばいいさw

(先に笑い話としてるといった手前冗談で返してきているのかとこの時は一瞬思ったのでふざけて返したが...)

A:たった半年で会社辞めてフリーターとか甘えてんじゃねえよ根性無しが。自分ならどんな状況でも最低でも5年は働く自信あるわ

(この時にやっと本気でけなしてきているのがわかった)

タ:その現場のことも人の苦労も何もわからないくせになんでそんなこと言えるの?

A:うるせえよ、鬱になりかけとかその程度でやめて社会のレール外れた時点で終わってんだよ。

タ:さっきは変な気を遣わせたら嫌だなと思ってなりかけって言ったけどちゃんとうつ病の診断を受けてる。それでも甘え?それに会社のせいにするつもりはないけど三年以内の離職率は〇%で自分が辞めた時点で同期は〇人辞めてたような状況でも同じこと言える?

A:甘えだねwうつ病って言われても薬飲みながら働いてる人もいるし他の人が何人辞めてるとか関係ないwwどれだけ理由つけてもたった半年で会社辞めた時点で落ちこぼれてんだよw世の中の認識はそうなの。

タ:うつなりかけが甘えでうつ病だったって言っても甘えでならどこまで行けば甘えじゃないの?他の人がどれだけ辞めてるかとか関係ないのであれば薬飲んで働いている人がいるってのも関係ないのでは?そもそも社会のレールとか世の中からの認識とか言ってるけどそれは本当にそういうものなの?一度レールから外れたらもう戻れないの?そうじゃないから短期離職者に向けた転職サービスが充実してきてるんじゃないの?

A:笑い話にしてるとか言ってたくせに顔真っ赤にして反論してんじゃねーよwwそういうこと(先に説明した会社のこと)がわかってて入ったんじゃねえのかよ、それとも調査不足?どっちにしても頭弱いのは確かだねw反論するくらいならフリーターなんかさっさと辞めて転職してみろww

タ:反論ではなく質問のつもりだったんだけど。好きかっていうのも構わないけどまずこっちの質問答えてもらっていい?

A:医者なんてちょっと眠れないとかそれっぽいこと言えば簡単に診断書書くんだよ。悔しかったら転職がんばれや

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これ以上なにを言っても無駄だと思ったので返信をやめてアプリも削除した。

記憶を頼りに再現しているので細部は正確じゃないし抜けてるやり取りも一部あるけどだいたいこんな感じ。

年上の人から「最近の若い人は……」とか来るのは予想してたけどまさか同年代の人にこんなこと言われるとは思ってもいなかった。

 

うつを始めとする精神的な病気や症状、いわゆる心の傷のようなものはなかなか周りから理解されにくいのはわかるがだからといって頭ごなしに否定したり批判したりましてや貶していいものでは無い。

 

このやり取りしてた時はちょうどドラマ「3年A組〜今日からみなさんは人質です〜」の放送が終了したタイミングだったのでこの人には見て欲しかったことろですね。

 

言葉の責任

 

「自分がされて嫌なことは人にしたらダメだよ」小学生くらいにこう言われたことがある人も多いんじゃないだろうか?

個人的にこれが通じるのは子どものうちだけだと思う。

 

成長するに連れて必要なのが「自分はされても平気だけど相手はされてどうだろう」までを考える必要なあると思う。(自分がそれを出来てるかはわからないが)

 

さて今回のやり取り相手にその考えがあったかと問うと多分ないだろう。

でなければこんな傷口に塩を塗るようなことは言わないだろう。ネット上のやり取りで程度がわからないとはいえ下手すればこれらの言葉の数々に打ちのめされ症状が悪化し自ら命を絶つような行動に出てもおかしくない。そこまで考えた上での発言ならタチが悪い。

やり取りの中で「笑い話のように」と出てきていたがこれは自分なりに状況と向き合って乗り越えようとしていたゆえのこと。

そうでなくとも自虐することと貶されることを許容することは全く違う

 

仮にこのやり取りがきっかけでもしもの事があった場合この人はどうするつもりだったのだろうか。多分なにもしないだろう。そもそもその事実を知る術もないだろうし。

ネット環境の普及に伴ってTwitterFacebookInstagram、ブログ、YouTubeなどなど誰でも簡単にものを発信、発言できる環境になった裏で発言が軽くなったように感じる。一時期ニュースでも取り扱われていたが言葉だけではなく動画コンテンツにおいても自由に出来るだけにタガが外れているようにも思えるものがある。

手軽に発信できるようになったからこそその発言、行動には責任が伴うしその事を忘れてはいけない。

自らの発言行動に対しての責任を持つためには「それをしたら(言ったら)どういう結果になるのか」という想像力をはたらかせる必要がある。

もちろん普段の生活において一挙手一投足すべての発言に対して考えることなんてできないだろう。しかしだからこそ要所要所では「そう思ったから言った(やった)」という短絡的なものは控えるべきなんじゃないかなと思う。

 

 

やめた理由1であげたようにこれから先の内容がまとまらないので締りが悪い気もするがうーん、どうしたものか、、、

まあいいか、終わりでーす