それは一度割れた皿のように
前書き
約9か月ぶりの更新。
お久しぶりです。
最後の更新が「アンチが~」という内容だったわけですがそれで嫌になって辞めたというわけではなく理由の大半としては一言にするならば怠慢。
新しい仕事が始まるに伴い周りの環境が変わりバタついていたとか心的なものを含め体調が崩れがちになっていた、副業を始め寝ている時間以外は殆ど働いているような時期があったなどあるがそれでも毎日更新している人や定期的に更新している人もいるのは事実である以上少なくともそういった人たちからすれば怠慢と言わざるを得ないだろう。
他にはなかなか書きたいことが見つからない、まとまらない、「自分がこれを書いていいのか、触れていいのか、ネタにしていいのか」という葛藤があったものなども多少あったがそれもせいぜい理由の1割2割程度。
まあもともと「書きたいときに書きたいことを無理なく書いてく」がコンセプトで「毎日更新してブロガーとして収益上げてやる!!!」というものではなかったのでいいかなとも。。。
ざっくりしとした9か月の振り返り
おそらく今回書きたいことを書くにあたって一度まとめておいた方がいいかと思うので簡単に振り返りを。
・4月、5月
前回更新で触れた派遣での新しい仕事の研修期間(座学)が始まる。
・6月
実際の現場での実習(OJT)期間に変わり徐々に独り立ちを始める。
〔中旬頃からわずかに体調の不調や違和感が出始め通院を中断していた病院に月一回程度のペースで通い始める〕
・7月~8月中旬
〔体調の不調を抱えながら業務〕
・8月中旬~9月中旬
コロナの影響で事業所が閉まる。
・9月下旬
事業所の営業が再開。
〔休業期間に回復ができたかと思ったが再開と同時に体がわずかに出社拒否状態になっていることが発覚。呼吸の乱れ、ふらつき、腹部の圧迫感、不眠、めまいといった症状が朝起きたときや通勤途中、勤務中に出るようになる。通院のペースが3週に一回に変更〕
・10月
〔症状が徐々に悪化し欠勤や早退が増え通院ペースが2週に一回に変更〕
・11月
派遣元の担当者と面談。現状の確認と今後の方針をすり合わせ。
〔11月最終出勤日業務中に業務続行不可能な状態に。窒息感に伴う過呼吸、発汗、体の震え、動悸、めまい→パニック発作的症状へ〕
・12月(現在)
〔第1週目の出勤日すべての通勤時から上記の症状が発症。療養期間として有給、公休合わせて1週間の休みを取ることに〕
こんな感じの9か月
本題
去年一年間のフリーター期間で心療内科への通院も中断できるようにまで病気の快復が見られ発作などを起こすこともなくなり自他ともに「もう大丈夫なのでは」と思い始めた矢先のことだった。
派遣先の会社の環境が劣悪だったというわけではない。むしろ周りに話しても羨まれるほど環境自体はとてもよく症状が出ていなかったとはいえ持病として持っている鬱などの精神病、精神疾患に対しても理解があるほどだった。
そんな中でなぜこのようなことになってしまったのか。
コンプライアンス的な観点からあまり詳細に仕事について書けないが仕事が始まった当初はかなり低い確率でしんどいこともあったが自覚するほどストレスも感じていなかったし何なら少し楽しんでいた節があったくらいだった。
しかし結果はこれだ。
考えられるものとしては業務内容と自身の性格のミスマッチ、もしくはコールセンターという業務に対するストレスの蓄積。
上司からも「ケアできるように環境整備はしているが電話のストレスで体調を崩し休職もしくは退職する人も多くはないが珍しいわけでもない。」とのことだった。
前述したようにもう問題ないと思っていた。こんな事態になるとは思いもしなかった。
自身の状況に対する認識が甘かったかもしれない。
いや、かもしれないではなく甘かったのだろう。
だからこそ改めて思い知った。
心の傷とは、病とは少なくとも簡単に癒えるものではないということを。
下手をすれば一生消癒えない治らないものなのだと。
刃物で切れば切り傷、ひねれば捻挫、ぶつけたり叩くと打撲や骨折などいわゆる外傷とされるものの原因というのは大方万人に共通するものだろう。
しかし心の問題はそうはいかない。
何がその人にとって平気でなにがその人にとって重大なのか、どこまで触れて良くてどこからがダメなのか。人によってすべてが違う。
ガラスのハートや豆腐メンタルなんて表現があるが本当にその人の精神が弱いだけなのだろうか。それが原因で問題なのだろうか。
そうではないだろう。誰にだって越えて欲しくない一線が、触れられたくないことがあるはずだ。自覚しているかいないかは別として。
そしてそれは高いところから落とした、もしくはぶつけて一度割れてしまった皿のようにどれだけ上等な接着剤てくっつけようとヒビの後は残るし欠片を拾い損ねれば何処か欠けたままになってしまうだろう。
それに水を汲めば一見きれいにくっついているように見えるところからでも水滴がこぼれるかもしれない。
心はそれと同じなのだと感じた。
しかも目に見えるものではないだけに余計にたちが悪い。
だからこそ気まぐれでもなんでもいいからこの記事を読んでくれた人には同じようなことにはなってほしくないと思う。「自分は大丈夫」そう思う人もいるだろう。むしろそう思っている人の方が多いだろう。でも「そう」なってからでは遅いのだ。
周りから何と言われようと自分の身は自分の心は自分で守るしかないのだから少しでもおかしいと思ったときは足を止めてもらってほしい。
もしかしたら考えすぎ、思い込みで終わるケースもあるかもしれないけどそれで済むならむしろいいじゃないか。
限界は思っているよりずっと早く来ることがあることを知っていただきたい。
9か月ぶりもともとそんなにきれいな文章じゃなかったかもしれないが期間が空いたからか余計にまとめ方や着地点がわからなくなったので今回はこのへんで。