自己紹介続き~大学から就職、退職まで~

どうも、タナシです

 

二回目の投稿になりました。

初回投稿から11日もたってしまってるわけで立ち上がりの悪さにこんなんで続けられるのか不安を感じられずにはいられないですね。

 

今回は前回の自己紹介投稿の中でサラッと書いていた大学以降のことを書いていきたいと思います。

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ここで言ってますね

では本題いきましょう
もっと短くするつもりだったのですがかなり長くなってしまいました、、、

 

 

大学編

勢いで決めた進学先

大学は札幌市にある私立大学の心理学科に進学しました。

昔から親に「大学は出ておけ」と言われていたもののやりたいこともなく進学先を決めかねていた高校2年生の冬。たまたま見ていた『CONTROL〜犯罪心理捜査〜』というドラマを見て「心理学おもしろ」となり「なんもやりたいことないし心理学やってみよう」という当時の好奇心と勢いで進学先を決めました。

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燃え尽きる

部活を引退し受験勉強を頑張った結果何とか志望校に合格したタナシ。

どのくらい頑張ったかというと10月だったか11月だったかの模試の時点でE判定で担任の先生に志望校の変更を促されたりセンター試験の自己採点英語60点(200点満点中)をたたき出す状態から約1か月で合格までもっていったくらい頑張った。

それだけやって何とか入学できた大学、心理学への興味は薄れることのないまま授業が始まったもののテレビや小説、漫画なんかで見るような「○○効果」とか「○○行動」みたいな多くの人がイメージする「the心理学」みたいなものは一向に出てこない…

「あれだけやったのになんじゃこりゃ…」となりこれまでしてこなかった勉強を一気に頑張った反動から無気力になる。。

 

いろいろ手を出し始める2年生

インターンシップからのNPO活動

無気力状態も落ち着き授業とバイトと遊びの日々を送っている中でなんとなく感じる退屈感。

そんな中授業の冒頭で同じ大学生によってされたNPO法人ドットジェイピーなる団体の「議員インターンシップ」なるものの告知を見て「あーやってみるかなー」と思い立ち夏休みにインターンに参加。そのままスタッフへ。当時はインターンに参加してくれる学生を集めなければいけないためビラまいたり告知したり「宗教みたい」と言われたり思ったりしながらも活動を続けた結果今でもたまに飲んだりするいい意味で頭のおかしい仲間ができました。

北海道での活動はタナシ卒業後いったん切れたのですが復活したみたいで名も知らぬ後輩が頑張ってくれているようです。

その団体の公式HP↓

https://www.dot-jp.or.jp/

 

センター試験60点の男がイギリスへ

初回投稿の内容にこんな発言がありましたよね。『意識高い系大学生に中途半端になり』と。そうです。当時のタナシNPO活動だけでは物足りなくなってしまったのです。

そこで目を付けたのが海外留学。何度も言います。センター試験の英語60点の男です!

そんな男が大学の短期留学プログラムに申し込みをして大学2年生の春休みイギリスに行ってきました。

ただ今でも不思議なのが中学高校と英語の勉強が大嫌いだったはずなのにこの留学に向けて勉強していた時はほんとに楽しかったことですね。

残念ながら慣れない環境に体調を崩すこともしばしばあり他の参加者に比べ活動できたことはそう多くはなかったですが当時の中途半端な状態だとそれなりの満足感を得てしまいました。もったいない、、、もっとストイックにいけばよかったのに、、、

ハプニングとして「カフェにパソコン、財布が入った鞄を忘れて帰る」「スマホの画面フィルムを30ポンド(当時の日本円で3600円くらい)で買わされる」なんてこともありました。

↓留学時のクラスメイト(写真ちっさ!!)

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ボランティア

あれこれ手を出しているうちに友人からとあるボランティアに誘われました。カタリバと言い高校へ行って高校生と話をするというものです。多分いろいろやってタナカで後半はこれが一番やってた気がするし大学卒業後の追加の2年間もこれだけはイレギュラーメンバーとして続けさせてもらってました。

高校でどんな話をするかというと人によってさまざま。進路の話、友達の話、部活の話などなど。このカタリバを通して教育に興味を持ち始めることとなりました。

カタリバは北海道だけじゃなくいろんな都道府県で行われているのですが勢い余って単身で福岡のカタリバに突入もしてきました。

一番やってたけどネタ性が薄いのと全体の文章が長くなってきたので短めに、、、

↓カタリバ北海道HP

 http://www.ikitas.net/

 

迷う就活

大学4年生になり就活が解禁され周りと同じように合説に行ったり個別説明会、選考を受けたりする中でふと疑問が浮かび始めました。「なんで就活してるんだろう。」

そうですね、中途半端な意識高い系をこじらせた結果就活に疑問を抱きます。

そして辞めます。

ただここで疑問だからやめるでは話にならないと思ったので期限とその間にやることを決めました。「2年間教職課程を取る」です。

先述したカタリバ北海道でのボランティアを通して教育現場に興味を持っていたこと、4年間の中で途中まで教職課程を履修していたこと、通っていた大学に科目等履修生性dがあり正式な学生としてではないけど資格取得などの目的のために大学の授業を受け単位の取得が可能なことと条件がそろっていたのでこの選択をすることができました。

教職の授業を受け教育実習にも行き教育の楽しさを感じる反面この選択をした時からうすうす抱いていた理想とのギャップが次第に大きくなっていくのを感じまた迷い始めます。自分が教育の現場でやりたいと思っていたことと実際にしなければいけないことのバランスがどうにも取れそうになかったのです。

そんなことを感じながら受けた教員採用試験は案の定といっていいかもしれません。不合格。

当初決めていた通り何の答えも見いだせないまま期日が来てしまったのでおとなしく就職することにしました。

 

就職編

就活

就活は難航しました。卒業後2年間の社会的空白(正規の学生ではなかったため社会的には無職扱い)、「教員免許あるならそっち行ったら?」「うちに来てもやめて教員なったりするんじゃないの?」という質問、何より就活スタートが8月と遅れてのスタートだったため選択しもそう多くはなかった。

そんな中、10月末にとある企業に就職することがきまった。(この後の内容上一応社名と業界は伏せておきます)

 

違和感

内定後翌月から「毎月内定者研修をやってるから来てほしい」と言われ参加するようになった内定者研修。途中までは「まあこんなもんか」と思いながら研修を受けるも途中から人事の人の発言内容に違和感が。

「なにかおかしくねえか?」

一回だけ噛みついてみたけどやはり何かがおかしい。

そんなことを感じながら毎月の研修を受け4月の新入社員研修へ。

 

その内容は内定者研修の時に感じていた違和感が確信、不安、不満へと変わるものだった。

「あ、この会社無理かも」

そう思うには十分だった。

「でも最初だけかもしれない。支店配属されたらまた違う可能性も・・・」

と半ば現実逃避気味の淡い期待を抱き研修を終え配属先の支店へ。

何があったかは社名同様念のため伏せておきます。

病み始める

はっきり言って支店へ行っても変わらなかった。

そんな生活が続き約1か月半。

日に日に朝鏡に映る自分の顔がやつれて生気が無くなっていく。

何か食べても味を感じなくなり食欲も失せ下手に食べようものなら戻してしまう始末。1日の食事は頑張ってウィダのような栄養補給用のゼリーと栄養ドリンク。少し調子のいいときはカロリーメイト2本。

夜寝て目が覚めると30分も経っていない。

趣味が趣味でなくなり本も読めず、音楽も雑音になり果てる。

朝目が覚めて家を出る直前に涙が流れ、仕事を終え帰るとまた涙が流れる。

持病の喘息が悪化しほぼ毎日1日使用限度いっぱいまで発作止めを使わなければいけないほど衰弱。

約386㎞離れたところに住んでいた親が「変な気だけは起こさないでくれ」と泣きながら訴えにも来た。

「あ、もうだめだこれ」と思い上司に現状の説明と辞めたいという旨を相談。

しかしここで謎の伝言ゲームが発生。

なぜか「喘息の症状が悪化しているらしいく今も休みの日に札幌まで病院に通ってるらしいく体調的に続けるのがきついらしい」という話に相談した上司と支店長との間でされたらしく「それなら札幌の支店にいどうして続けてみたらいいんじゃない?」と話がまとまってしまった。

おそらく普通ならここで「いや、やめます」となるかもしれないが判断力ほぼ0の状態だったため話の流れがおかしいことも気に留めず「じゃあそれでお願いします」とタナシ。

結局7月から札幌の支店に移動して続けることに。

移動後は支店の雰囲気が幾分よかったためか少し状態も落ち着きを見せ何とか働ける状態に。

 

しかし9月に事態は急変していくことに。

また出社前と帰宅後に涙が出るようになり、仕事中に急な過呼吸とみぞおち周辺に痛みを感じるようになる。

ある日仕事中に腹痛がひどく、呼吸は荒れ、汗が止まらなくなり明らかな状態異常から早退。翌日出社しようと地下鉄に乗ると息が乱れ始める。駅につき乱れた息のまま会社まで何とか歩きたどり着くも事務所で倒れ病院へ。

その後2日間は休みだったので休み明け。

出社しようとしたら同様の症状が。今度は駅から動くこともできなくなりそのまま帰宅。これを翌日もう一度繰り返し結局1週間ほど休むことに。

その間に病院へ行った結果か「不安抑うつ状態」。診断書を持ち休職を願い出る。

なぜ休職かというと病院の先生曰く「こういう状態の時に重要な決断をするべきではない」とのこと。

 

そして退社、フリーターへ

これらのことが3か月の休職期間で症状が治まることもなく結局退職することに。

休職期間含めしばらくは会社のある方面への地下鉄に乗れない、長時間外に出られないなどありました。

退職後貯金もほとんどというか全く0だったので働かないと生きていけないと思いアルバイトを探し運よくすぐに決まり体調を崩すこともあったものの何とかという感じで今に至ります

 

終わり

なげー!!!!!!!!

長々とすみませんでした。

この半分くらいで済ませるつもりだったんですけが、、、

「読むの飽きるわ!!」ってな

書いてる途中で何回か「書くのやめようかな」とも思いましたが書くといったからにはやはり書こう、有言実行でいこうと思いここまで書ききりました。

次回からはもう少しコンパクトにしていきます。