「石の上にも三年」か「思い立ったが吉日」か

ども、タナシです(←そろそろこれやめようかな)

 

会社、部活、サークル、団体、アルバイトetc.

人それぞれ何かしらの組織なりに所属してるかと思うけどふとした時に「辛い」「しんどい」「辞めようかな」なんて思う瞬間があるんじゃないだろうか。

 

ということで今回はそんなことを思ったときに続けるか続けないかの話を就職を例にとって少ししようと思います。

 

 

 

 

二つの考え方について

石の上にも三年

石の上にも三年とは「冷たい石の上にも三年座り続けていれば暖まってくることから我慢強く辛抱すれば必ず成功することのたとえ」のこと。

まあ特に新卒採用で就活している時期なんかにはよく聞いたり目にすることも多い言葉なのではないでしょうか。

実際タナシも就活の際、前職の最終面接のときに「石の上にも三年というしとりあえずは3年頑張ってほしい」と言われたし、また周りの人でも『「就職したら3年は」なんていうけど本当に3年目にして続けててよかったと思った』なんて人もいた。

そもそも「働き始めたらとりあえず3年」という考え方には諸説ありますがよく聞くようなものとしては「1年目で会社や仕事に慣れ、2年目で部下を持ち仕事に責任やプレッシャーが増え、3年目でその責任やプレッシャーにも慣れようやく楽しさややりがいを感じられるようになるから」というのがあると思う。

また、新卒採用や新人教育に企業がかけたコスト(企業からの借金)を個人が業績を出しチャラにできる(返済できる)ようになるまでにかかる期間ともいわれたりもする。

そう考えると半年で会社を辞めた身でこんなことを言うのもなんだが確かに3年続ける意味があるようにも思える。

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思い立ったが吉日

思い立ったが吉日とは「何かをしようと決意したらそう思った日を吉日(物事をするのに日取りのいい日、めでたい日)としてすぐに取り掛かるんが良いということ」という考え方のこと。

これはなかなか就活の場なんかでは公に言われることはない気がするため「とりあえず三年」という考え方に比べるとはっきりとした根拠のようなものがないように見える。

就職時期に一度だけ目にしたのは「3年働いてからの転職は前職のやり方が身についてしまっているので転職先の企業のやり方に慣れるまで新卒に比べ時間がかかってしまう」といったような旨の文章を目にしたことがある。

また個人的な見解として第二新卒(だいたい大学卒業、就職3年未満の25歳前後)という枠で転職活動が行われており、転職サイトにおいても積極的に企業が採用活動をしていることから「企業と転職者双方がある程度認めている考え方」であるように思える。

 

どちらを選ぶか

少し体験談

実はタナシも本格的にダメになる前に「思い立ったが吉日」の判断で一度だけ転職サイトに登録をして電話面談を受けたことがある。タイミング的にはGW明け、体の不調が出始めたころに。

某転職サイトに登録をしたところそのサイト経由で電話面談を申し出てくれたエージェントがあり一度だけ電話をした。

担当してくれたのは声の感じから20代後半から30代前半くらいの男性だと思う。

転職を考えている理由を聞かれたので体の不調や会社の様子などを説明したところ嘲笑気味に「それで転職を考えるのはまだ早いんじゃないですか?」と言われた。

時期はGW明けだったので入社して1か月そこそこのタイミング。確かに早いだろう。

しかしこちらとしても異常が出始め精神的にも不安定になり始めていた頃、悩んだ末の選択を嘲笑気味にそういわれるとさすがに気分がよくなかった。売り言葉に買い言葉ではないがやけくそ気味に「そうですね、もう少し働いて考えてみます」と電話を切ったのを覚えている。

その結果がこのざまだ。しかしその責任をその面談担当者に押し付けるつもりはない。

本当に行動するつもりならその人が気に入らなくても他の人を頼ればよかっただけの話だからだ。結局はその人の言葉に流されてそこで意地になってしまった自分が悪い。

 

閑話休題

さてこの二つのことわざ、本来はそこまで真逆の意味ではないのですがこと今回のような「仕事を辞める辞めない」のような特定の状況においては真逆のようにもとらえることができると思う。ではなぜそんな二つのことわざがあるのか。そもそもことわざとは「昔から言い伝えられている教訓」のこと。じゃあなんでそんな教訓があるのか。理由は簡単どちらも正解だから。

「そんなこと言ってじゃあどうしたらいいと思ってんの?」という話だが、当然のことを言います。

自分で決めろ!!

 

相談に乗ってくれる人はいるだろうし選択をした後支えてくれる人もいるでしょうが最終的に決めるのは自分自身。当たり前ですね。

この結論で終わるならわざわざ記事にする必要がないのでもう少しだけ考えを書きます。

 

消極的ではなく積極的な判断をしてください

 

会社を辞めようとすると必然的にいろんな不安が押し寄せてきます。

「貯金もあまりないしどうやって生活していこうか」とか「こんなに早く会社を辞めて転職先なんて見つかるんだろうか」とか。

そういった不安に押されて辞めない理由を探しているうちは事態は好転しません。

早い話が「やらない理由」「やめられない理由」を探してはいけません。

「貯金が」とか「生活が」とか気にしている人がいればそんなの気にしなくていい。

なぜなら現に貯金0で会社辞めても生きている奴がここにいるので案外何とかなるから。

 

仮に辞めるとなっても家族や同僚、上司いろんな人から反対や静止が入るかもしれませんが揺れなくていいと思う。タナシのように転職サイトのエージェントに笑われるかもしれないけど無視しとけばいい。そのせいで心や体を壊したら元も子もないのだから。

その人たちは身を案じてくれるかもしれないが責任は取ってくれないのだから。

 

もっと具体的に「じゃあどこで判断しようか」という部分。

「辞めたい」と思っているだけのうちはまだ様子見でもいいと思う。SNSの投稿や近くの人に「辞めたい」と言うようになったら行動に移した方が個人的にはいいと思う。

 

耐えること、努力すること、我慢することと無理をすることは全く違う。

自然と言葉が漏れるようになったときは無理している証拠だと思うから。

少なくとも自分はそうだったししまいには「辞めたい」とも言えなくなった瞬間があった。

 

逆に悩みながら続けるとしても「せめてこの案件だけは片づけてから」とか「せめて一つでも成果をあげてから」という少しでも前向きな考えのうえで残るのはいいと思う。もしかしたらその「もう少し」が積み重なっていつの間にか気づいたら3年たってて思いがけない「やりがい」や「生きがい」が生まれるかもしれない。(←やってないやつが何言うかと思うかもしれないが・・・)

 

今悩んでいる人がいたらその人の後押しをができたらなと思い今回は締めます。

フリーターで病みそうになるとは思わなかったって話

コンチャッス!!タナシっス

 

 実はフリーターになって今日で半年が経ちました。

会社を辞めて病気の症状は残ってるものの、主だったストレスから解放され気楽に自由になれたかというとそうではなく元の性格なのか病気の影響なのかひどく悩む時期も当然あったわけでそんな時の話を少ししようかなと思います。

 

 

本編

 

フリーター生活2か月目の悩み

フリーターとして生活し始めて2か月が経った頃ふとこんなことを思うようになった。

大学の同期や後輩、もちろん先輩だって今もしんどいとか言いながら働いているのに…自分こんなこと(バイト生活)してていいのだろうか…」と。

さらには学生時代アルバイト経験がある人なら一度は思ったことがある人もいるんじゃないかと思うが「あと何時間で帰れる」という考え。そう考える自分に対して嫌気がさしたり、「他の人に比べただ時間を浪費しているだけにしか思えず自分は今この瞬間何をしてるんだろう。他の人は(正社員として)働く中で知識とか経験とかいろんなものを得ているのに自分は何を得ているのだろう…」など先の思いをより一層強めネガティブマインドに拍車をかけるような状態。

 

一度そう思い始めるとなかなか抜け出せずバイト中、帰り道、休みの日いろいろなタイミングで病気を悪化させるかのようにしんどくなってくるようになった。

苦しくて動けなくなりバイトを早退させてもらうこともあった。

 

少し考えが落ち着くと今度は「ごちゃごちゃ考えて自分めんどくさいな…」という自己嫌悪に襲われた。多分こういうネガティブマインドは鬱だとかなんだとか関係なしに精神衛生上よくはないだろう。それが病気とのコンボで来たわけだからなかなかに苦しかった。

 

「まあいいか」と思えた瞬間

外を出歩くときだいたい音楽を聞いている。聞いているというよりただ流して外の音があまり聞こえないようにしているような感じだけどとりあえずイヤホンをしてウォークマンを再生しながら歩いている。その日も同じようになんとなく気分が晴れない微妙な気持ちのまま音楽を垂れ流しながら歩いていた。

タナシのウォークマンには約1000曲ほど曲が入っている。その中でふと高橋優の「明日はきっといい日になる」が流れた(厳密にはGoose houseがカバーしたもの)。その時から一週間くらいかな、しばらくそればっかりを聞くようになった。そのあとは同じく高橋優の「福笑い」を、そのあとはウルフルズの「笑えれば」。最後はその三曲だけでリストを作り自己暗示でもするかのようにずっと聞き続けた。

なんとなく心が軽くなった気がした。

 

それからは「嘆いていても現状は変わらないし変に焦って転職したところで同じように悩み始めるかもしれないしそもそもちゃんと働けるかもわからない。無理に何とかしようとしても心や体がついていかずにまたつぶれるかもしれない。それなら余計なことを考えるのをやめてみよう」と思うようになった。早い話が「まあいいか」と思えるようになった。

 

行動してみた

それから意識するようにしたのは「笑うこと」。

さすがに家で一人の時とか街ふらふらしてるときに笑ってると明らかにやばいやつなのでバイトでもなんでも人といるときの意識として。あとお笑い的な動画をよく見るようにしてみた。

そうしてるとバイト先の人から「明るくなったね」なんて言われるようになったし仕事中に雑談したりする時間も増えた。相変わらず「あと何時間や」なんて思うこともあるけどそう思う自分に不快感はなくなった。

 

心がけとして

今思えば前職では会社に対して「不満や不安、違和感なんかが先行して笑ってなかったな」と思う。心がけや些細な行動の変化が時として簡単に状況を変えるものなんだなと実感したし「もっと早くこのことに気づけてたら会社辞めてなかったんじゃないかな」とも思う反面「会社を辞めたからこそ気づけたことなんじゃないかな」とも思う。

 

結論は「笑うって大切なこと」なんだな。

 

強がりで無理やり笑おうとすると多分どっかでガタが来るかもしれないから「しんどい時はしんどい」でもいいと思う。ただそう思って終わるんじゃなくてどこかで吐き出すなりして少しでもすっきりさせたあと「なんとかなる」って「大丈夫だ」って笑ってみると少しはらくになれるんじゃないかなー。

 

おまけ~タナシ的「こんな人はフリーターやめとけ」~

まじめな人」や「考えすぎる人」、「気持ちの切り替えが下手な人」、「周りを気にしがちな人」なんかはフリーターは絶対に向かないと思うのでやめた方がいい!!(と思う)

絶対にタナシと同じような悩みに直面するはず!!

今回はたまたま早いうちにきっかけができて気持ちを切り替えることができたけどそれがうまくいかなかったら今頃どうなってたか。。。

そういう人がフリーターになる選択肢を突き付けられる瞬間が来るとしたらおそらく「就活がうまくいかない」とか「会社を辞めようか悩んでる、もしくは辞める時」だと思うし後者なら下手すれば鬱やそれと似たような症状の人かと思うので「やむを得ず」ということもあるかもしれないができればやめておくことを勧めます。

ブログ始めた理由


コンチャッス~タナシです

 

前回までの2回の投稿で200PV(閲覧数)突破してて驚いてます

個人的には始めたばっかりだし合わせて2桁行けばいい方かなーと思ってたところだったので。。。

しかもシェアも両投稿共に10以上してくれててありがたい限りです。

こんな文章をそれだけの方が見てくれてる感謝とその方々が飽きてしまわないようにしっかり文章書いていかなければなと思いながら3回目です。

 

今回はなんでブログ始めたの?って話していきます。

理由としては4つあります。

  

憧れと気づきから

休職中に参加したbackpackFESTAという旅イベントにてゲストスピーカーとしては呼ばれていたクソマジメゲスブロガーのあんちゃさんとプロ無職のるってぃさんの話をイベント当日とその翌日にWAYAというゲストハウスにて開催された飲み会で聞いたこと、またあんちゃさんが書かれた「アソビくるう人生をきみに」を読んだときに「次の仕事のこと、将来のこと」に対し不安しか抱いておらず「どの業界、どの職種に転職をするか」しか頭になかった中で「別に生き方は(いわゆる)普通の就職するだけでは無いんだな」と気付くことができたからでした。

そもそもフリーランスと呼ばれる働き方があるのは知っていましたがプログラマーのイメージしかなくブログで稼ぐという頭が無かったのも衝撃を強めた要因だったのかなと思います。

これが1つ目の理由です。

↓あんちゃさんと

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↓るってぃさんと

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↓もはやバイブルアソビくるう人生をきみに。

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お名前を出させていただいたのでブログのリンクを貼らせてもらいます

 

あんちゃさん『まじまじぱーてぃー』

https://www.mazimazi-party.com

るってぃさん『プロ無職』

https://rutty07.com

 

 

妙な縁から

タナシが尊敬するあんちゃさん、るってぃさんとの出会い以降なぜか周りにブログを始める人が増えたんですね。その場にいた人もいなかった人も含めて。

その上FacebookTwitterで「ブロガーやってます」「フリーランスです」みたいな方々からのフォローが急に増えたんです。まだ自分はやってなかったのに。

そうなってくると「尊敬するふたりとの出会いと妙な縁は何かのきっかけだろう」と思い「じゃあやってみようかなー」と思いたったのが2つ目の理由。

 

時間を無駄にしたくなかったから

タナシは現在フリーターなもんでバイト先と家との往復がほとんどなんですね。

働く時間もまばらで一日に微妙な時間が余ってたり休みもシフト制のうえ土日は基本入っててかつ週シフトなので割とギリギリまでスケジュールがわからないような状況だったわけです。

バイトの休憩時間中もやることなくてもてあましてたし。

時間ある時はだいたいは寝てるかごろごろしながら目的もなくスマホいじってるかひとり待ちをフラフラしてるかという中で「なんか勿体ないなー」と思い先述した内容をふまえて「あ、バイトの1時間の休憩中に下書きしておくとかすれば効率よくいけるんじゃね?」とか「ただフラフラするにしてもブログの記事のネタになるようなものさがす目線で動くようになったらそれはそれで有意義になるんじゃね?」「時間は有限。こんな生活をしてる時だからこそなにかやろう」という考えに至ったというのが3つ目の理由です。

 

自分の体験を話したい

今の状況になってからというもの働くことであったり生活のことであったり病気のことであったり。

前はそれをFacebookに投稿していたのですが「『自分が病気になったこと』『働けなくなった』『仕事を辞めたこと』『そんな中で感じた生活のこと』『人生のこと』についてもしかしたらどこかで同じように悩んでる人がいるのかもしれない、自分が発信することでそういった人達の気持ちの面での助けになれるかもしれない。何より自分の経験を発信したい」と思うようになりました。

もちろんすでに同じような経験をした人も多くいるとは思いますがその乗り越え方もその後の生き方も様々でしょう。その中の一例として見てもらってそれからどうするか考える材料になればな、してくれればなと思ったのが最後の理由です。

 

終わりに

3回目の投稿いかがだったでしょうか?

前回2回の自己紹介記事と今回の計3回の投稿をチュートリアルというかテスト的なものとして考えて投稿しました。

次回からはもっとコラムというか情報発信というかインフルエンサー的なものとしてやっていこうと考えてます。

この「終わりに」欄も単に「ブログの締め方わからん!!」と思いつけてるものなので多分そのうち消えます。

更新もできれば最低週一回できれば2回、3回とできたらなと思ってますが無理なく程々に自分のペースでやっていこうと思うのでよろしくお願いします。

自己紹介続き~大学から就職、退職まで~

どうも、タナシです

 

二回目の投稿になりました。

初回投稿から11日もたってしまってるわけで立ち上がりの悪さにこんなんで続けられるのか不安を感じられずにはいられないですね。

 

今回は前回の自己紹介投稿の中でサラッと書いていた大学以降のことを書いていきたいと思います。

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ここで言ってますね

では本題いきましょう
もっと短くするつもりだったのですがかなり長くなってしまいました、、、

 

 

大学編

勢いで決めた進学先

大学は札幌市にある私立大学の心理学科に進学しました。

昔から親に「大学は出ておけ」と言われていたもののやりたいこともなく進学先を決めかねていた高校2年生の冬。たまたま見ていた『CONTROL〜犯罪心理捜査〜』というドラマを見て「心理学おもしろ」となり「なんもやりたいことないし心理学やってみよう」という当時の好奇心と勢いで進学先を決めました。

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燃え尽きる

部活を引退し受験勉強を頑張った結果何とか志望校に合格したタナシ。

どのくらい頑張ったかというと10月だったか11月だったかの模試の時点でE判定で担任の先生に志望校の変更を促されたりセンター試験の自己採点英語60点(200点満点中)をたたき出す状態から約1か月で合格までもっていったくらい頑張った。

それだけやって何とか入学できた大学、心理学への興味は薄れることのないまま授業が始まったもののテレビや小説、漫画なんかで見るような「○○効果」とか「○○行動」みたいな多くの人がイメージする「the心理学」みたいなものは一向に出てこない…

「あれだけやったのになんじゃこりゃ…」となりこれまでしてこなかった勉強を一気に頑張った反動から無気力になる。。

 

いろいろ手を出し始める2年生

インターンシップからのNPO活動

無気力状態も落ち着き授業とバイトと遊びの日々を送っている中でなんとなく感じる退屈感。

そんな中授業の冒頭で同じ大学生によってされたNPO法人ドットジェイピーなる団体の「議員インターンシップ」なるものの告知を見て「あーやってみるかなー」と思い立ち夏休みにインターンに参加。そのままスタッフへ。当時はインターンに参加してくれる学生を集めなければいけないためビラまいたり告知したり「宗教みたい」と言われたり思ったりしながらも活動を続けた結果今でもたまに飲んだりするいい意味で頭のおかしい仲間ができました。

北海道での活動はタナシ卒業後いったん切れたのですが復活したみたいで名も知らぬ後輩が頑張ってくれているようです。

その団体の公式HP↓

https://www.dot-jp.or.jp/

 

センター試験60点の男がイギリスへ

初回投稿の内容にこんな発言がありましたよね。『意識高い系大学生に中途半端になり』と。そうです。当時のタナシNPO活動だけでは物足りなくなってしまったのです。

そこで目を付けたのが海外留学。何度も言います。センター試験の英語60点の男です!

そんな男が大学の短期留学プログラムに申し込みをして大学2年生の春休みイギリスに行ってきました。

ただ今でも不思議なのが中学高校と英語の勉強が大嫌いだったはずなのにこの留学に向けて勉強していた時はほんとに楽しかったことですね。

残念ながら慣れない環境に体調を崩すこともしばしばあり他の参加者に比べ活動できたことはそう多くはなかったですが当時の中途半端な状態だとそれなりの満足感を得てしまいました。もったいない、、、もっとストイックにいけばよかったのに、、、

ハプニングとして「カフェにパソコン、財布が入った鞄を忘れて帰る」「スマホの画面フィルムを30ポンド(当時の日本円で3600円くらい)で買わされる」なんてこともありました。

↓留学時のクラスメイト(写真ちっさ!!)

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ボランティア

あれこれ手を出しているうちに友人からとあるボランティアに誘われました。カタリバと言い高校へ行って高校生と話をするというものです。多分いろいろやってタナカで後半はこれが一番やってた気がするし大学卒業後の追加の2年間もこれだけはイレギュラーメンバーとして続けさせてもらってました。

高校でどんな話をするかというと人によってさまざま。進路の話、友達の話、部活の話などなど。このカタリバを通して教育に興味を持ち始めることとなりました。

カタリバは北海道だけじゃなくいろんな都道府県で行われているのですが勢い余って単身で福岡のカタリバに突入もしてきました。

一番やってたけどネタ性が薄いのと全体の文章が長くなってきたので短めに、、、

↓カタリバ北海道HP

 http://www.ikitas.net/

 

迷う就活

大学4年生になり就活が解禁され周りと同じように合説に行ったり個別説明会、選考を受けたりする中でふと疑問が浮かび始めました。「なんで就活してるんだろう。」

そうですね、中途半端な意識高い系をこじらせた結果就活に疑問を抱きます。

そして辞めます。

ただここで疑問だからやめるでは話にならないと思ったので期限とその間にやることを決めました。「2年間教職課程を取る」です。

先述したカタリバ北海道でのボランティアを通して教育現場に興味を持っていたこと、4年間の中で途中まで教職課程を履修していたこと、通っていた大学に科目等履修生性dがあり正式な学生としてではないけど資格取得などの目的のために大学の授業を受け単位の取得が可能なことと条件がそろっていたのでこの選択をすることができました。

教職の授業を受け教育実習にも行き教育の楽しさを感じる反面この選択をした時からうすうす抱いていた理想とのギャップが次第に大きくなっていくのを感じまた迷い始めます。自分が教育の現場でやりたいと思っていたことと実際にしなければいけないことのバランスがどうにも取れそうになかったのです。

そんなことを感じながら受けた教員採用試験は案の定といっていいかもしれません。不合格。

当初決めていた通り何の答えも見いだせないまま期日が来てしまったのでおとなしく就職することにしました。

 

就職編

就活

就活は難航しました。卒業後2年間の社会的空白(正規の学生ではなかったため社会的には無職扱い)、「教員免許あるならそっち行ったら?」「うちに来てもやめて教員なったりするんじゃないの?」という質問、何より就活スタートが8月と遅れてのスタートだったため選択しもそう多くはなかった。

そんな中、10月末にとある企業に就職することがきまった。(この後の内容上一応社名と業界は伏せておきます)

 

違和感

内定後翌月から「毎月内定者研修をやってるから来てほしい」と言われ参加するようになった内定者研修。途中までは「まあこんなもんか」と思いながら研修を受けるも途中から人事の人の発言内容に違和感が。

「なにかおかしくねえか?」

一回だけ噛みついてみたけどやはり何かがおかしい。

そんなことを感じながら毎月の研修を受け4月の新入社員研修へ。

 

その内容は内定者研修の時に感じていた違和感が確信、不安、不満へと変わるものだった。

「あ、この会社無理かも」

そう思うには十分だった。

「でも最初だけかもしれない。支店配属されたらまた違う可能性も・・・」

と半ば現実逃避気味の淡い期待を抱き研修を終え配属先の支店へ。

何があったかは社名同様念のため伏せておきます。

病み始める

はっきり言って支店へ行っても変わらなかった。

そんな生活が続き約1か月半。

日に日に朝鏡に映る自分の顔がやつれて生気が無くなっていく。

何か食べても味を感じなくなり食欲も失せ下手に食べようものなら戻してしまう始末。1日の食事は頑張ってウィダのような栄養補給用のゼリーと栄養ドリンク。少し調子のいいときはカロリーメイト2本。

夜寝て目が覚めると30分も経っていない。

趣味が趣味でなくなり本も読めず、音楽も雑音になり果てる。

朝目が覚めて家を出る直前に涙が流れ、仕事を終え帰るとまた涙が流れる。

持病の喘息が悪化しほぼ毎日1日使用限度いっぱいまで発作止めを使わなければいけないほど衰弱。

約386㎞離れたところに住んでいた親が「変な気だけは起こさないでくれ」と泣きながら訴えにも来た。

「あ、もうだめだこれ」と思い上司に現状の説明と辞めたいという旨を相談。

しかしここで謎の伝言ゲームが発生。

なぜか「喘息の症状が悪化しているらしいく今も休みの日に札幌まで病院に通ってるらしいく体調的に続けるのがきついらしい」という話に相談した上司と支店長との間でされたらしく「それなら札幌の支店にいどうして続けてみたらいいんじゃない?」と話がまとまってしまった。

おそらく普通ならここで「いや、やめます」となるかもしれないが判断力ほぼ0の状態だったため話の流れがおかしいことも気に留めず「じゃあそれでお願いします」とタナシ。

結局7月から札幌の支店に移動して続けることに。

移動後は支店の雰囲気が幾分よかったためか少し状態も落ち着きを見せ何とか働ける状態に。

 

しかし9月に事態は急変していくことに。

また出社前と帰宅後に涙が出るようになり、仕事中に急な過呼吸とみぞおち周辺に痛みを感じるようになる。

ある日仕事中に腹痛がひどく、呼吸は荒れ、汗が止まらなくなり明らかな状態異常から早退。翌日出社しようと地下鉄に乗ると息が乱れ始める。駅につき乱れた息のまま会社まで何とか歩きたどり着くも事務所で倒れ病院へ。

その後2日間は休みだったので休み明け。

出社しようとしたら同様の症状が。今度は駅から動くこともできなくなりそのまま帰宅。これを翌日もう一度繰り返し結局1週間ほど休むことに。

その間に病院へ行った結果か「不安抑うつ状態」。診断書を持ち休職を願い出る。

なぜ休職かというと病院の先生曰く「こういう状態の時に重要な決断をするべきではない」とのこと。

 

そして退社、フリーターへ

これらのことが3か月の休職期間で症状が治まることもなく結局退職することに。

休職期間含めしばらくは会社のある方面への地下鉄に乗れない、長時間外に出られないなどありました。

退職後貯金もほとんどというか全く0だったので働かないと生きていけないと思いアルバイトを探し運よくすぐに決まり体調を崩すこともあったものの何とかという感じで今に至ります

 

終わり

なげー!!!!!!!!

長々とすみませんでした。

この半分くらいで済ませるつもりだったんですけが、、、

「読むの飽きるわ!!」ってな

書いてる途中で何回か「書くのやめようかな」とも思いましたが書くといったからにはやはり書こう、有言実行でいこうと思いここまで書ききりました。

次回からはもう少しコンパクトにしていきます。

こんにちは、はじめまして、久しぶり~簡単なプロフィール~

コンチャッス。ブログはじめました。タナシです。

 

初回なので簡単な自己紹介と当ブログの紹介でもしていこうかと思います。

 

 

タナシって誰?

・名前:タナカヒデカズ

・出身:北海道

・好きなもの:グルメ、マンガ、緩く運動

・タナシの由来:大学時代のあだ名「タナカ氏」のもじり

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入社した会社でうつ状態になり半年で退職。治療しながらアルバイトで生きてる感じです。

 

超簡単な生い立ち

・北海道の田舎町で双子の兄貴として生まれる。

・小学校野球、中高バスケとわりと体育会系だった。

・特に面白みもない平凡な人生を歩み続けるも高校くらいから人付き合いや集団行動への苦手意識のようなものを感じ始める。

・大学に進学後大学の授業より学外での活動に興味を持ち始めていろいろ手を出す。

・あれこれ手を出した結果当時でいう「意識高い系大学生」に‘‘中途半端’’になってしまい「大学卒業したら就職する」という流れに違和感を持ち就活をやめて大学に残ってみるもうまくいかず周りから2年遅れで就職。

・半年働いた結果‘‘不安抑うつ状態’’になり3か月の休職の後退職。今に至る

 

大学以降のことについては別途記事を書こうと思います。

 

 ブログ説明

ブログタイトルについて

暫定的なものです。多分そのうちもっとしっくりくるものに変える時が来るかも。

このタイトルにした理由は今後更新していこうと思っていることが「○○について発信したい」みたいな軸のようなものがあまりなく「雑記型でいこうかなー」思い、特にカテゴリ分けとかなくあったことなどをつらつらと書いていくスタイルでいこうというものと自分自身文章に起こして発信することで「頭の中のグシャグシャしたものがすっきりすればいなー」という考え、これを読んで同じようにすっきりする人がでてくれたらいいなーという思いからこのタイトルにしました。

あと最近「グランドイリュージョン~見破られたトリック~」という映画を見たんですが作中に出てくるお婆ちゃんの「タロットでなぜ愚者が最強のカードと言われるかしってるかい?愚者は自由でまっさらな状態だからこれからなんにでもなれるからさ」というセリフを聞いたとき「かっけぇ!!」ってなったから。

そんな感じで付けました(雑)

 

 

締めのあいさつ

くそ適当な自己紹介でした。なんとなくでもわかってもらえたでしょうか。

初投稿なんで大目に見てください。

これから今ので生活リズムの中で無理なく更新してこうと思います。

他のブロガーさんを参考にしながら内容の質を上げていけるように頑張っていきますんでどうぞよろしくお願いします。

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